Naganoアフター

元大学ぼっちが社会人になったよというおはなし

辛い出来事にかかる「思い出補正」について

こんにちは、Naganoです。

最近、これまでにも増して「昔を思い出す」という癖が出てしまっています。

 

先日に至っては、以前使用していたスマートフォンを引っ張り出してきて、端末内に保存してあった懐かしい写真を掘り起こしていました(笑)

主に高校生の頃の写真が中心で、今の自分と比較しても活気があるように見えます。社会人になり、気胸による入院も経験して気分が塞ぎがちの今の自分からすれば、余計にそう見えるのでしょう(誰目線?)

 

ただ、高校生当時の私にも悩みはあったはずですし、いつでも活気があったわけではありません。特に受験シーズンなどは(以下略)

「沈んだ現実」と対比された「過去」というのは、その属性により「明るい側面」が強調されて脳裏に刻まれているのでしょうか。

 

いずれ数年後の私が、例によって過去を振り返ったとき、「あの頃は入院を経験して大変だったなぁ、それも今となってはいい思い出だ」と思える日が来るのでしょうか。少なくとも、今の私にとっては到底考えられません。

ですが同時に、今現在の私は、高校生の頃の「辛い側面」といえる受験シーズンについて、「いい思い出」とまではいかなくとも、当時を思い出してしみじみするレベルには至っています。それは高校生当時の私からしてみれば、同じく「到底考えられない」ことでしょう。

 

思い出補正というのは、こういった形でもかかるものなのでしょうか。なんて哲学的(?)なことを考えて現実逃避をしている休日のNaganoでした。